上五島の自然と麺匠の技に磨かれる【五島うどん】

株式会社ますだ製麺
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ますだ製麺 上五島の自然と麺匠の技に磨かれる【五島うどん】


麺匠の挑戦 舛田安男

第2話 導き
機械屋さんとの出会いで視界が開ける

 手延うどん作りは、想像していた以上に厳しいものでした。人一倍手間のかかる大変な仕事だってことが、実際にやってみて分かった。身を粉にして働いても、わずかな量しか生産できないわけですから。
 手延を専門的に教えてくれる人もいなかった。これでは、いつまで経っても埒〈らち〉が明かない。だから、手延素麺の産地、島原の麺工場にも足繁く通いましたよ。とにかく、始めた以上は行動するしかない、という一心でね。

舛田安男  暗中模索を重ねる中で、昔、船崎地区でうどん作りをしていた、一人のおばさん(師匠)をようやく探し当て、丸々3日間、弟子になって、伝統の手延の製法を教わったんです。
 機械に頼ることなく、手作り一本で開業した当時のことが、今では懐かしいですね。夜もろくに寝ないで、深夜1時頃から、せっせと、うどんの生地をこねてましたから。最初の何年かは、隣近所に買ってもらって生計を立てていたけども、月日が経つに連れて、こんなことを続けていても食べていけない、家内を養ってもいけないばい、という思いが、何度も頭の中をよぎりましたね。なんとかせんばいかんな、と。これが、製麺業を立ち上げた昭和51、52年当時の状況。こんな中でも、必死に取り組んでいくうちに、五島うどんの魅力にだんだんとハマっていったという感じですかね。
 手製では、とても大量生産などできません。流通していないので、まして島外の人は、五島うどんを食べる機会がないわけですから、五島うどんは「幻のうどん」と呼ばれるようになったんです。手製うどんは一年前から頼まないと簡単には手に入らないよ、っていう意味もあったんですね。

 そんなある日のこと、岡山から、機械製造会社の経営者が突然、島に渡ってこられたんです。その方に、自分のうどん作りへの胸の内を伝えたところ、「君がやるなら、手延の機械を一式、貸与してあげよう。代金は、万事うまく運んでからでいい」と言ってくださった。このときばかりは跳び上がるほど嬉しかったですよ。先行き不透明だった視界が、一瞬にして開けたとでもいいますかね。
 今があるのは、その時々に、いろいろな恩人との、思いもかけない出会いがあったからです。その後、機械を導入できたことが基盤となって徐々に歯車が回り出し、これなら、どうにか商売を続けていけるぞっていう確信が生まれたんですよ。
第3話へつづく



五島うどん 麺匠が紡ぐ奇跡の物語

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